天草を満喫するためコレだけは知っておきたい事

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天然要塞「富岡城」跡で見る天草の歴史

富岡城跡

明治維新前、天草行政の中心地であった「富岡城」。天草北西の突き出た富岡半島に城跡があります。天草・島原の戦いの際、天草四郎軍に2度の攻撃をうけても落城しなかった天然要塞。代官所もこの地にありました。紆余曲折の天草の歴史がここにあります。

天草の美しい城跡「富岡城跡」

天草下島北西の突き出た富岡半島には、かつてお城がありました。佐賀県唐津城主・寺沢広高により築城された「富岡城」です。江戸時代、関ヶ原の戦いの功績に対し天草を与えられた寺沢広高。その領地を、遠方の唐津より治めるために築いた城です。別名「臥竜城」。

歴代の代官所もこの地に

寛永18年(1641)年から長く江戸幕府直轄地の天領であった天草。当時、天草の代官所もこの「富岡城」三の丸に置かれました。初代代官・鈴木重成が政を行ったのもこの地。明治維新まではこの富岡城跡地付近は天草の中心地だったのです。

四郎軍の攻撃にも耐えた天然の要塞

島の突き出た半島部分である富岡半島。島の東側、丘陵に作られた梯郭式の平山城が「富岡城」です。三方を海に囲まれた、天然要塞。

天草・島原の戦いの時、幕府軍の拠点地であった「富岡城」。天草四郎軍は2度にわたり「富岡城」を攻めますが、落城せず。天草四郎軍は、海を渡り原城に向かいます。

「富岡城」跡地から見下ろすと眼下には袋池。大蛇になった娘の伝説があり、城跡から見下ろすとハート型に見えます。

ビジターセンターに歴史資料館も

「富岡城」跡地には、現在「苓北町歴史資料館」や「熊本県富岡ビジターセンター」が整備されています。

1994年(平成6年)より、発掘・復元が行われている「富岡城」跡。復元の元となっているのは、国立国会図書館に蔵書されていた『肥前甘艸富岡城図』です。この写しが、「苓北町歴史資料館」の入り口には展示されていています。

紆余曲折の天草の歴史

明治維新後は天草県となり、長崎府、八代県、白川県と移動。紆余曲折の末、現在の熊本県に編入した天草。「苓北町歴史資料館」では天草の統治の歴史や、天草・島原の乱の開設、展示が行われています。展示自体は多くはないのですが、細やかな歴史の流れの開設と見やすい展示室です。

海を見守る 4人の偉人達

二の丸跡地には巴湾を見守るように4人の偉人像があります。

まずは日本の恩人2人は勝海舟と頼山陽(らいさんよう)。勝海舟は長崎海軍伝習所の訓練中に富岡にやって来ています。また、頼山陽も天草に宿泊時の事を詠んだ「泊天草洋」が有名。まさに、頼山陽の詩のような風景が眼下に広がる場所です。

天草の恩人は、天草初代代官の鈴木重成と、兄の鈴木正三の2人。天草の民は鈴木神社を作るほど。この2人の恩人無しでは、今現在の穏やかな天草は無かったといわれています。

ここはとても美しいフォトスポット。写真撮影にはぴったりの場所です。

まとめ

天然の要塞「富岡城」跡。天草・島原の戦いがあり、その後も統治する人がかわるごとに紆余曲折した天草の歴史が詰まった場所です。また、小高い丘から見下ろす、巴湾の砂嘴(さし)は素晴らしく絶景。かつての天草行政の中心地を見に、登城していきませんか。

■富岡城跡・富岡ビジターセンター
住所:天草郡苓北町富岡字本丸2245-15
電話:0969-35-0170
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:45)
休館日:水曜日(休日の場合は翌日)
アクセス:富岡港~車で5分程度
車 熊本駅~約2時間40分、九州自動車道松橋IC~約2時間20分、天草空港~約40分
地図:クリックするとGoogleマップが開きます

天草野・黒猫

天草野・黒猫

天草生まれ。美味しい物、きれいな物。歴史にかかわるものが大好きです。天草のまだ知られていない魅力をお伝えします。

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