「崇圓寺」にみる代官・鈴木重成と天草の歴史!
崇圓寺
「河内浦城跡」を背後に立つ「崇圓寺」。天草四ヶ本寺の中のひとつで、天草初代代官・鈴木重成が再建したお寺です。天草、島原の戦いで荒れた民心の安定と改宗を目的に再建された「崇圓寺」。江戸時代から続く、天草の歴史を感じに立ち寄ってみませんか?
天草四ヶ本寺の中のひとつ
天草には「天草四ヶ本寺」と呼ばれる、寺社の中でも格上の寺があります。その中のひとつが、河浦町にある「崇圓寺」。天草・島原の戦い後、天領となった天草。その初代代官鈴木重成によって再建されたお寺で、荒れた民心の安定と善導のため再建されました。今でもどこか品のある風情のある佇まいが目を引きます。
裏手には天草氏の居城跡
寺院の裏手は天草5人衆の1人、天草氏の居城跡「河内浦城跡」があります。「崇圓寺」は天草氏の館跡と言われていて、1645年に創立。350年以上の歴史あるお寺。天草氏は14台目鎮尚(ドン・ミゲル)が洗礼を受け、キリスト教の布教を許していました。九州の南西の島に、当時は南蛮船が行き来し西洋の文化が取り入れられていったのです。
下島中南部の中心となった寺
天草・島原の戦い後、天草の代官となったのが鈴木重成。重税に苦しむ民の声に再検地を行い、天草の軽減を訴え自決したといわれています。戦いの後に重税で苦しむ天草の背景と、兄の正三公が僧侶であった事から、重成は仏教の布教を兄に要請。「天草四ヶ本寺」はそんな改宗への導きの中心的な寺でもあったのです。
伊能忠敬の宿舎にもなった崇圓寺
「崇圓寺」は、松平伊豆守や伊能忠敬の宿舎になった寺でもあります。伊能忠敬といえば、「大日本沿海輿地全図」を江戸時代に完成させた商人で測量家。地図の測量で訪れ、裏手の「河内浦城跡」で天文をみたりしたといわれています。
崎津教会・天草コレジヨ館と共に
「崇圓寺」に共にお勧めしたいのが「崎津教会」「天草コレジヨ館」です。天草においてのキリスト教布教の流れ、天草氏の信仰や当時の天草の様子を知る事ができます。そんな歴史の背景をみた上で訪れると、山門の木々や階段の苔にまで歴史を感じる場所なんですよ。
まとめ
天草氏の「河内浦城跡」を背後にたつ「崇圓寺」。江戸時代からの長い歴史を感じる風情で、桜の季節は特に美しい風景です。「河内浦城跡」と共にお参りしていきませんか?ま
■天草山護国院 崇圓寺
住所:天草市河浦町河浦444
電話:0969-76-0037
アクセス:車 熊本駅~約2時間40分、九州自動車道松橋IC~約2時間10分、天草空港~約45分
バス:産交バス 「河浦郵便局前」下車~徒歩8分
地図:クリックするとGoogleマップが開きます