天草の石橋「楠浦の眼鏡橋」は優しい田園風景
楠浦の眼鏡橋
天草の石橋で有名な橋が「祇園橋」ですが、「楠浦の眼鏡橋」を知っていますか?明治生まれの眼鏡橋。この橋は楠浦の庄屋、宗像竪固が私財を投じ完成させた橋です。田園風景の緑の中に優しい石のアーチ、庄屋の心意気!やさしい気持ちになれる場所ですよ。
明治生まれの眼鏡橋
天草の上島と下島を結ぶ天草瀬戸大橋から、10分程度ドライブすると明治時代の石橋「楠浦の眼鏡橋」があります。明治11年に完成したこの橋は丸い緩やかなアーチの石橋。田園風景にとけこみ美しい景色。特徴として壁石が薄く、アーチ中央部は壁石がなく輪石のみ。地元天草の下浦石を利用した姿は優美でも堅牢な橋です。
今でも渡れる!美しいアーチ形
「楠浦の眼鏡橋」は、江戸時代末期から楠浦村の庄屋であった宗像竪固の尽力によって架橋された橋です。楠浦と宮地(現在の新和町)を結ぶこの橋。雨期に川が増水する事が多かった為、そんな時期にも川を渡れるように作られたもの。現在でもこの橋は現役で渡ることができます。風情のある石橋、わたってみませんか?橋の手すりが低いので十分注意してわたってくださいね。
側には「楠浦諏訪神社」
長野県の有名な諏訪大社より分霊を受けた「楠浦諏訪神社」。「楠浦の眼鏡橋」の側にあります。以前は山頂に祀ってあった神社を、宗像竪固が嘉永6年に移転改築した神社。眼鏡橋を渡ると神社がある風景はタイムスリップしたよう。「楠浦諏訪神社」秋季例大祭には神幸行列が「楠浦の眼鏡橋」を渡ります。長く続く、歴史的にも守り続けたい風景。そんな「楠浦の眼鏡橋」は熊本県の指定文化財となっています。
庄屋「宗像竪固」の功績
楠浦村の庄屋、宗像竪固がこの地区に残した功績。それは今でも語り継がれる大きな功績です。その中でも有名な「釜の迫の開削」。方原川の氾濫によってこの地区は洪水が多く収穫が少なかったため、なんと川の流れを変えるというものです。「人のためにつくせ」という先祖からの教えを実行し、私財をなげうち岩山を手作業で掘削した「釜の迫の開削」。完成時には祝い唄「掘り切り唄」が歌われ、今でも伝承される程、村人は喜んだとか。川の流れを変えるとは、すごい庄屋さんが活躍していたものです。歴史のロマンも垣間見える「楠浦の眼鏡橋」。歴史好きの方にもおすすめです。
まとめ
田園風景、緑の田んぼの中にかかるアーチ状の眼鏡橋。庄屋、宗像竪固の功績と共に歴史を感じる場所です。最近では橋の架橋はクレーンや重機を使って作られますが、100年もさかのぼれば手作業が主。そう考えると、この美しい石橋の価値は大きいもの。先人の偉業を感じにでかけてみませんか?
■楠浦の眼鏡橋
住所:〒863-0044 熊本県天草市楠浦町中田原
アクセス:熊本駅から車で2時間程度
天草瀬戸大橋から10分程度
*程度Googleマップで「楠浦眼鏡橋」で検索するとでてきます
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