「鈴木神社」で天草守った代官にご挨拶!
天草というと天草四郎が思い浮かびますが、天草を命をかけ守った代官を知っていますか。天草初代代官、鈴木重成公。重税に苦しむ領民の石高軽減を訴え切腹。ついには石高半減を実現した鈴木家。そんな領民に尊敬された「鈴木神社」にご挨拶していきませんか。
鈴木神社
森の中に清しい鈴木神社
天草空港から天草市内に向かう国道44号線を3分程走り、左手に8分程や走った森の中に「鈴木神社」はあります。清々しい森の中の神社。車で境内まで登る事もできますが、車1台がやっと通れる山道。運転に自信がない方は一の鳥居後方の駐車場に止めて登りましょう。(社殿まで少し距離があります。)
天草初代代官:鈴木重成公
「鈴木神社」は天草の初代代官:鈴木重成公と兄で僧侶の正三公、二代目代官:重辰公を祀った神社。天草は江戸時代、天領であったり他藩の預かりで代官兼任あったりと不安定な政治が続いていました。そのため、石高以上の重税に苦しみ天草・島原の乱に繋がったといわれています。乱の後、島民は3割以上減少していたとか。そんな荒廃した天草に初めて着任した代官が鈴木重成公です。
石高軽減を命をかけ訴えた代官
三河藩(愛知県)から赴任してきた鈴木重成公。天草・島原の乱後の荒れた領地や民衆の心を落ち着かせるため、行政を整え神社やお寺の建立を行います。また、石高よりも重い税に苦しむを天草の民を憂い、検地を行い正当な税率を何度も老中に直訴。ついには、自ら切腹して嘆願するのです。
二代目代官:重辰公に引き継がれ
重成公が自決した後、代官就任したのは義理の息子(正三公の子)重辰公です。重辰公も父の遺志を継ぎ、石高軽減を訴えます。そして重成公の切腹から7年経ち,石高半減が叶うのです。江戸時代、民のために命をかけた代官は貴重な存在でした。
天草を守った鈴木さま
この慈愛ある鈴木重成公、重辰公がが代官であったからこそ、天草は守られたといえるのです。民衆から「鈴木さま」と呼ばれ尊敬された代官。鈴木神社、正面右手には1811年建立の鈴木明神伝碑があります。天草の人々にとって、神にも等しい存在であった事が伝わってきます。
燈籠にも注目!
「鈴木神社」に参拝する際は、境内の燈籠にも注目してみてください。燈籠の中に鳥たちの置物が飾ってあるます。樹木の背景の中、まるで本物のように映る鳥達。掃除も行き届いた神社はさらに清々しい気持ちにしてくれます。
まとめ
天草の初代代官「鈴木さま」なくして、今の天草はないといっても過言ではありません。領民を思い、命をおとした鈴木重成。観光の前にご挨拶していきませんか?
■鈴木神社
住所:熊本県天草市本町本671
電話: 0969-23-3249
アクセス:車 熊本駅~約2時間、松橋IC~約1時間45分 天草空港~約8分
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